短冊まゆ玉頒布開始・神話のお話

カテゴリー │社務日誌神話のお話

こんにちは。井伊谷宮です。
本日から短冊のまゆ玉をお出ししております。(一枚300円。)
短冊に願い事をご記入いただきましたら、設置場所付近にある願い串を置く台の上にお納めください。
後ほど職員で飾り付けます。
短冊まゆ玉頒布開始・神話のお話


またご自身でつけていただいても構いませんが、青いマスはどうしても木の乾燥具合等で設置時よりも緩くなることがあります。
短冊まゆ玉を差し込む際、青いマスがぐらつく場合もありますので大きくずれてしまったら直していただけましたら幸いです。
短冊まゆ玉頒布開始・神話のお話


さて本日は急遽ですが神話のお話をしたいと思います。前回までのお話ではニニギノミコト、ヤマサチヒコ、ウガヤフキアエズノミコトと系譜は流れて、後の神武天皇(カムヤマトイワレビコノミコト※以下神武天皇)が誕生しましたね。ニニギノミコトからウガヤフキアエズノミコトまでを日向三代(ひゅうがさんだい)と呼びます。

神武天皇は国を平安に治めるためにはもっと東の地がよいと、日向から東へ旅立ちます。
道中筑紫(ちくし※今の福岡県)、宇佐(うさ※大分県)、阿岐(あき※広島県)、吉備(きび※岡山県)を経由し、何年もかけて東へと向かいます。
ついに大和(やまと※奈良県)に入ろうかという時に敵の軍に阻まれて、お供の神様が負傷をしてしまいます。
短冊まゆ玉頒布開始・神話のお話


この苦戦の原因は自身が日神(ひのかみ)の御子であるにも関わらず、太陽に向かって戦ったことが悪かったと悟ります。
日神とは太陽神であるアマテラスオオミカミのことを指します。アマテラスオオミカミの子孫であるので、太陽を背にして戦ったほうがよいということです。
太陽は東から昇って西に沈みますから、大阪湾から大和に向かおうとした神武天皇は東向き、つまり太陽に向かって戦をしていたのでした。

そのため熊野(くまの※和歌山県)に迂回して戦をすることとします。
ですが熊野も一筋縄ではいきません。熊野の荒ぶる神たちの前に神武天皇一行は気を失います。
高天原から見守っていたアマテラスオオミカミとタカギノカミは、神武天皇が苦戦しているのを見て葦原の中つ国を平定したときの太刀を地上に送ります。

この太刀はタケミカヅチノカミがオオクニヌシノミコトに国譲りを迫った時に用いた太刀です。フツノミタマと呼ばれ,現在奈良県の石上神宮に祀られています。
太刀を使い見事に熊野の荒ぶる神たちを退けた神武天皇ですが、熊野から紀伊を経由して大和に入る道は大変険しく道案内が必要でした。

そこで天から遣わされたのが足が三本あるというヤタガラスです。
こうしてヤタガラスに導かれて、神武天皇の一行は大和にたどり着くことができました。

ヤタガラスはサッカー日本代表のシンボルとして広く知られていますね。
このヤタガラスの神様が京都の下鴨神社の御祭神、カモタケツヌミノミコトと言われます。下鴨神社ではその娘さんのタマヨリヒメと共にお祀りされており、さらにタマヨリヒメの息子さんのカモワケイカヅチノミコトを祀るのが上賀茂神社です。
短冊まゆ玉頒布開始・神話のお話


両神社は世界遺産として認定されていますが、国内でも古くは官幣大社の筆頭として扱われてきました。
ヤタガラスは熊野の御札「牛王宝印※ごおうほういん」にも使われるなど、神話の中での役割然り、日本において大切な存在として扱われてきたのですね。

またお札はよく東か南を向けるように祀ると言いますが、これも太陽が昇ってくる方角か一番高くなる方角に向けて祀るためです。由緒などで違う場合もありますが、同様に神社などでも南向きや東向きになることが多いです。

最後は少し話がそれましたが、今回のお話は以上です。
次回は大和を平定して、初代神武天皇として即位するお話です。今月の後半にお話しできるかと思います。


同じカテゴリー(社務日誌)の記事
地の神様
地の神様(2023-12-10 12:48)

12月の御朱印
12月の御朱印(2023-12-05 15:44)

まゆ玉と菊飾り
まゆ玉と菊飾り(2023-11-11 16:11)

11月の御朱印
11月の御朱印(2023-10-31 13:58)


 

削除
短冊まゆ玉頒布開始・神話のお話