こんにちは。井伊谷宮です。
キンモクセイが境内に香る季節となりました。キンモクセイは涼しくなってきた今の時期に咲く花で、秋を感じさせる香りですね。
さて、今回は御祭神の御生涯についてマンガを用いてご紹介していきます。
こちらの漫画はHPで公開されていますので、興味のある方はどうぞご覧になってみてください。
前回は浜松付近の御祭神の逸話を中心にご紹介しました。
劣勢となり井伊谷の地を離れて各地を転々と移りながら戦を続けていきます。
南朝方の有力武将が次々と倒れていき劣勢が続く中、大きな転機が訪れます。
足利尊氏と直義の兄弟げんかによって、尊氏の勢力に乱れが生じました。この機を逃すわけにはいかないと、宗良親王は総大将となり小手指ヶ原の合戦に臨みます。
君がため 世のため何か 惜しからん 捨てて甲斐ある 命なりせば
文化人として心優しい気性であった御祭神の唯一の勇ましい歌と伝わります。
戦のない世に生まれていたら、好きな歌や学問に一心不乱に打ち込む道もあったのかもしれませんね。
御祭神の編纂した新葉和歌集はかの坂本龍馬も写本を送ってくれるように身内に頼んでいます。
歌には思想や思いが大いに含まれているので、南朝方の人物の名歌をまとめた歌集に興味を持ったのだと思います。
結局戦には敗れてしまい、御祭神は晩年を好きな歌に捧げることとなります。
強者の歴史という言い方がありますが、戦に敗れた方の歴史や文化は残されないことがほとんどです。
歌においても同様で、そのため御祭神は先述の新葉和歌集を編纂し南朝方の人物の名歌も後世に伝わるように尽力したのです。
その精神性が明治維新の志士に愛されたわけですから、戦には負けても筆で戦い続けた御祭神の思いも報われたのではないかと思います。
最後は井伊谷の地で亡くなったとされ、弟君が開山した方広寺においてご葬儀が執り行われたと伝わります。
時代がくだり明治維新を経て、かつて国の為に戦い歴史に埋もれていた南朝方の人物をお祀りする神社を創建する流れが出てまいりました。全国的なそうした動きの中で井伊谷宮も創建されます。
場所は御祭神のお墓のある井伊谷の地に定められました。井伊谷宮という神社は御祭神のお墓に向いて建てられています。
昨年はちょうど御鎮座から150年の節目の年でした。
戦後荒れ果ててしまった時代もありましたが、段々と施設も整いお正月など多くの方にお参りをいただく神社となってまいりました。
今は知る人も少なくなりましたが一昔前は祈祷をお待ちいただく祈祷控殿も無かったですし、お守りを授与する授与所も史料館もボロボロでした。
まだまだ手を入れないといけない場所は多いですが、少しずつ良くしていきたいと思っております。
あまり知られておりませんがお正月と例祭の時期には御祭神の御墓を開放していますので、御参拝の際にはどうぞお参りください。