お彼岸・死生観①

井伊谷宮

2023年03月21日 13:45

こんにちは。井伊谷宮です。
WBC勝ったようですね。試合は見れておりませんが、白熱した試合だったようで明日の決勝戦が楽しみです。

本日は昨年の花のお写真と共にお送りします。桜は当宮にも所々にあり、時期になるとゆったりと散策しながら楽しむことができます。

数輪ですが開花が始まりましたので、見ごろまではあと一週間くらいでしょうか。
雨で落ちてしまわないと良いですね。

このブログでの投稿に関して、昨年は英語、その前は神話とテーマを持った回をお送りしてまいりました。

今年はどうしようかと考えていましたら、ちょうど死生観について話してほしいというお話をいただきました。
正直なところこれは非情に難しい問題で取り扱うかどうか迷いました。


神道には明確な教義教典がなく、神主さんによって様々な考え方があります。
ましてや仏教などの思想との習合、死を扱う葬儀に関しても地域的な風習が多いなど一律な話をするのはとても困難です。

ですが神社としてでなく一個人の意見としてでしたら、そうしたことを踏まえた上で一般的なことをお伝えすることもまた大変意義のあることではないかと思うようになりました。
もちろん学問的には間違いもあるかもしれませんし、これから考え方が変わることもあるかと思いますので、その点だけはご承知おきいただければと思います。

前置きがだいぶ長くなってしまいましたね。どれくらいの回数で終わるのか分かりませんが、終わったらまた次のテーマを探してお送りしていくような今年は緩いスタイルでいければ考えています。

ちょうどお彼岸に入りましたので、今回はそのお話をしようと思います。
毎年春分の日、秋分の日を中日として前後3日間をお彼岸と言います。

お彼岸の時期には先祖を敬い、おまつりをします。
別の回でお話ししますが、日本人の死生観では亡くなった方をお祀りすることで守り神として見守ってもらうという信仰がありました。

後に仏教が入ってきて日本人のそうした習俗と習合し、供養という形として取り入れられたそうです。
元々の仏教では本人の生前の行いによって解脱して仏になるか輪廻転生するかという考え方でしたが、こうした亡くなった方を弔う(供養・おまつり)することで生前善い行いをしたかの如くよい所へいけると変化していったようです。

彼岸は元々仏教用語ですが、神道の方もお墓参りや御霊まつりを行う時期で、一般的には祖先に感謝し悼む時期という認識で使われている言葉かと思います。皇室においても、春季皇霊祭、秋季皇霊祭といって、祖先のお御霊に対するお慰めのお祭を行っています。


当宮でも本日祖霊祭という御霊祭を行いました。これからお祀りを続けていく後継者がいない御家庭の霊璽を当宮の祖霊社に安置しており、祀られている方々の御霊の平安を祈るお祭です。


春分の日、秋分の日には天文学的に太陽が真東から登り、真西に沈みます。日本は古来から太陽信仰がなされてきましたので、この時期は特別な意味合いがあったのでしょう。

仏教では彼岸(ひがん)、此岸(しがん)といって分かりやすく言うと、この世の此岸(東)と極楽浄土のある彼岸(極楽浄土のある西側)が太陽の動き上重なる日として、あの世とこの世が繋がる日と考えられていたようです。


人は神から出でて(いでて)神に入る(いる)なり。
自然のあらゆるものに神が宿り、神は時に荒び、時に恵みをもたらす存在です。古来の日本人はそれを恐れ畏んでお祀りすることで、日々の安寧を願って生きてきたわけです。

菅原道真公の御霊(ごりょう)信仰が分かりやすい例かもしれませんね。

祖先を祀る家は栄えると申します。
こうした時期には祖先の日々のお守りに感謝し、手を合わせる心を忘れずにいたいですね。

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