2021年11月27日11:40
七五三まだまだ受け付けています 神話の話 伊勢神宮≫
こんにちは。井伊谷宮です。
七五三の受付もまだまだ行っております。七五三のアメもご祈祷の方にはついておりますし、ご祈祷以外の方でもアメを社頭で授与しています。
12月一杯までは大丈夫と思いますが、例年だと1月以降はアメがなくなってしまっている可能性もありますので時期をずらして参拝を考えてらっしゃる方はお気をつけください。
事前にお電話等で確認いただけると確かかと思います。
まゆ玉のお祝い飾りもしていますので、七五三参りお待ちしております。

詳細は2、3個前の記事で紹介していますのでご覧ください。
一点、菊だけは時期が過ぎてしまいましたので撤収をしました。
飾っていただいた皆様、ありがとうございました。

今日は神話のお話です。今回は伊勢神宮の創建にまつわるお話です。
前回のお話の中で第10代崇神天皇の御代で疫病が流行った際に、それまで皇居で一緒に祀っていたアマテラスオオミカミとヤマトオオクニタマを別々の所で祀ることとなりましたね。
アマテラスオオミカミは初めは皇女(こうじょ※天皇の娘)であるトヨスキイリビメに祀られていました。
その後第11代垂仁天皇の時代になると、垂仁天皇の娘のヤマトヒメノミコトが祀ることとなります。この方も皇女ですね。
ヤマトヒメノミコトはアマテラスオオミカミの鎮座地として、よりふさわしい場所がないかと探し回りました。
色々な場所へ行き、最終的にたどり着いたのが伊勢の国です。この時アマテラスオオミカミはヤマトヒメノミコトに「この国はとても良い国だからここに居たい」と告げたそうです。
確かに三重県は伊勢エビに的矢カキにと海産物に恵まれた良い土地ですね。
現在の伊勢の神宮の場所にたどりつくまでに一時的に祀られた場所は元伊勢(もといせ)と呼ばれます。
私も以前京都の籠神社(このじんじゃ)さんにお参りした際に、元伊勢であると伺いました。
こうしたことを知ったうえでお参りすると、違った見方や感じ方ができるかもしれませんね。
ちなみに籠神社の奥の宮に祀られるイザナミに会うために、天にいたイザナギが橋を作ったそうです。それが倒れてしまったのが天橋立(あまのはしだて)とも言われています。
天橋立は後ろ向きで腰を曲げて股から景色を見る、いわゆる股のぞきして見ると本当に天に橋がかかったように見える様です。私がお参りした際はそこまではいけなかったのですが、もし興味があれば行ってみてください。
さて現在の伊勢神宮の祭主(さいしゅ)は黒田清子様です。祭主は五大祭と呼ばれる特別なお祭にのみ、天皇陛下の名代(みょうだい※代理)としてお祭を行います。
昔は色々な方がされていたようですが、今では皇女がご奉仕されています。皇女がご奉仕をされるというのは創建の時と同じですね。
神社建築にはある種の型があり、流造(ながれつくり)、大社造(たいしゃづくり)など系統があります。伊勢神宮の造りは神明造(しんめいづくり)といいます。井伊谷宮も後醍醐天皇の息子である宗良親王をお祀りする皇室ゆかりの神社ですので、社殿の造りは神明造となっています。

神明造は原初の高床式倉庫から派生したと考えられており、何も塗られていない素木(しらき)を用いて造られることもありとても素朴な印象を受けます。自然本来の姿で木材を使っているので、どこか自然の暖かさや生命力を感じますね。
両側に棟持ち柱があり、千木や鰹木があるのも特徴的です。
分かりにくい写真で申し訳ないですが棟持柱は写真の屋根の真ん中から出ているもので、地面まで伸びています。

屋根に乗っている丸い木を鰹木といい、両端の先がとがっている木を千木といいます。
必ずしもそうとは限らないのですが、一般に男の神様は千木の外側が平面(地面と垂直)になっていて鰹木が奇数、女の神様は千木の上側が平面(地面と平行)になっていて鰹木が偶数と言われます。
こうしたちょっとした違いも面白いですね。
七五三の受付もまだまだ行っております。七五三のアメもご祈祷の方にはついておりますし、ご祈祷以外の方でもアメを社頭で授与しています。
12月一杯までは大丈夫と思いますが、例年だと1月以降はアメがなくなってしまっている可能性もありますので時期をずらして参拝を考えてらっしゃる方はお気をつけください。
事前にお電話等で確認いただけると確かかと思います。
まゆ玉のお祝い飾りもしていますので、七五三参りお待ちしております。
詳細は2、3個前の記事で紹介していますのでご覧ください。
一点、菊だけは時期が過ぎてしまいましたので撤収をしました。
飾っていただいた皆様、ありがとうございました。
今日は神話のお話です。今回は伊勢神宮の創建にまつわるお話です。
前回のお話の中で第10代崇神天皇の御代で疫病が流行った際に、それまで皇居で一緒に祀っていたアマテラスオオミカミとヤマトオオクニタマを別々の所で祀ることとなりましたね。
アマテラスオオミカミは初めは皇女(こうじょ※天皇の娘)であるトヨスキイリビメに祀られていました。
その後第11代垂仁天皇の時代になると、垂仁天皇の娘のヤマトヒメノミコトが祀ることとなります。この方も皇女ですね。
ヤマトヒメノミコトはアマテラスオオミカミの鎮座地として、よりふさわしい場所がないかと探し回りました。
色々な場所へ行き、最終的にたどり着いたのが伊勢の国です。この時アマテラスオオミカミはヤマトヒメノミコトに「この国はとても良い国だからここに居たい」と告げたそうです。
確かに三重県は伊勢エビに的矢カキにと海産物に恵まれた良い土地ですね。
現在の伊勢の神宮の場所にたどりつくまでに一時的に祀られた場所は元伊勢(もといせ)と呼ばれます。
私も以前京都の籠神社(このじんじゃ)さんにお参りした際に、元伊勢であると伺いました。
こうしたことを知ったうえでお参りすると、違った見方や感じ方ができるかもしれませんね。
ちなみに籠神社の奥の宮に祀られるイザナミに会うために、天にいたイザナギが橋を作ったそうです。それが倒れてしまったのが天橋立(あまのはしだて)とも言われています。
天橋立は後ろ向きで腰を曲げて股から景色を見る、いわゆる股のぞきして見ると本当に天に橋がかかったように見える様です。私がお参りした際はそこまではいけなかったのですが、もし興味があれば行ってみてください。
さて現在の伊勢神宮の祭主(さいしゅ)は黒田清子様です。祭主は五大祭と呼ばれる特別なお祭にのみ、天皇陛下の名代(みょうだい※代理)としてお祭を行います。
昔は色々な方がされていたようですが、今では皇女がご奉仕されています。皇女がご奉仕をされるというのは創建の時と同じですね。
神社建築にはある種の型があり、流造(ながれつくり)、大社造(たいしゃづくり)など系統があります。伊勢神宮の造りは神明造(しんめいづくり)といいます。井伊谷宮も後醍醐天皇の息子である宗良親王をお祀りする皇室ゆかりの神社ですので、社殿の造りは神明造となっています。
神明造は原初の高床式倉庫から派生したと考えられており、何も塗られていない素木(しらき)を用いて造られることもありとても素朴な印象を受けます。自然本来の姿で木材を使っているので、どこか自然の暖かさや生命力を感じますね。
両側に棟持ち柱があり、千木や鰹木があるのも特徴的です。
分かりにくい写真で申し訳ないですが棟持柱は写真の屋根の真ん中から出ているもので、地面まで伸びています。
屋根に乗っている丸い木を鰹木といい、両端の先がとがっている木を千木といいます。
必ずしもそうとは限らないのですが、一般に男の神様は千木の外側が平面(地面と垂直)になっていて鰹木が奇数、女の神様は千木の上側が平面(地面と平行)になっていて鰹木が偶数と言われます。
こうしたちょっとした違いも面白いですね。