2020年09月17日14:05
御祭神のお守 例祭日から頒布致します≫
カテゴリー │社務日誌
こんにちは。井伊谷宮です。
最近は涼しくなってきました。体は楽ですが、季節の変わり目は油断禁物です。ちょっとした油断で体調を崩さない様みなさんもお気をつけください。

例祭の日が近づいてまいりました。井伊谷宮御祭神「宗良親王」の御命日である9月22日に毎年行っております。
身内でもお写真を出したりするかと思いますが、御命日には故人を偲びます。今日は短歌を通して御祭神の生前の心境をご紹介できればと思います。

史料館では御祭神の御生涯を漫画を用いて説明しています。
宗良親王は後醍醐天皇の4番目の皇子としてお生まれになりました。
皇族をお祀りする神社なので井伊谷宮は官幣中社とされ、三島大社、富士の浅間大社につぐ静岡県内3番目の高い格式とされました。
宗良親王は短歌の名家出身の母を持ち歌の道に秀で、比叡山延暦寺の天台座主という最高位にもつかれていました。どちらかと言えば武の道よりも学問に秀でた方だったようです。
しかし時代の流れで南朝方(後醍醐天皇)のために還俗して戦に身を投じます。
●思ひきや 手もふれざりし 梓弓 おきふし我が身 なれん物とは
「今まで手も触れてこなかった弓を、戦のためにそばに置いて寝ることにすっかり慣れてしまったものだ」
戦況は苦しく中部地方を中心に拠点を移しながら戦を続け、時には険しい山々を逃げのびることもあったようです。
敵に狙われながら道中無事で目的地に着くことは大変なことです。
●なげかじな 忍ぶばかりの 思い出は 身の昔にも 有りしものなり
「なげくことはない。耐え忍ぶばかりの思い出は私も昔よくあったものだから」
皇族の身であり普通ならば不自由ない生活を送れる身でありながらも、耐えて耐えて忍んでばかりだったと。幾度となく逆境に立たされても道を切り開き続けてきた経験からの励ましの言葉だったのだと思います。
●君がため 世のため何か をしからん すててかひある 命なりせば
「これからの世の中のためにどうして惜しむことがあろうか。たとえ死んでしまったとしても意味のある命なのだから」
南朝方の千載一遇の好機であった大きな戦の前に詠んだ歌です。結局負けてしまったのですが、この精神は幕末の志士に引き継がれ明治維新の原動力となりました。というのも親王の残した歌集はその精神性から幕末の志士に愛読されていたようです。
明治維新がなければ日本は強国の支配下に置かれていたであろうことを思うと、時代は違えど「国を守る」という願いは後世まで届けられ叶えられました。

新史料館の入り口に御祭神をイメージして描いてくださった大野舞さん(http://denali331.com/)のイラストを展示しています。こちらは令和4年の御鎮座150年の奉祝の意で奉納されたものです。御祭神の絵はあまり残されていないので、こうしたイメージできるものがあるとより親しみがわくことと思います。
この度御祭神の御神徳を仰ぎ、「道開き守護 心願成就守」を新規に奉製し、22日~お出しします。こちらのイラストが使われたものとなります。
また近づきましたらお知らせいたします。
最近は涼しくなってきました。体は楽ですが、季節の変わり目は油断禁物です。ちょっとした油断で体調を崩さない様みなさんもお気をつけください。
例祭の日が近づいてまいりました。井伊谷宮御祭神「宗良親王」の御命日である9月22日に毎年行っております。
身内でもお写真を出したりするかと思いますが、御命日には故人を偲びます。今日は短歌を通して御祭神の生前の心境をご紹介できればと思います。
史料館では御祭神の御生涯を漫画を用いて説明しています。
宗良親王は後醍醐天皇の4番目の皇子としてお生まれになりました。
皇族をお祀りする神社なので井伊谷宮は官幣中社とされ、三島大社、富士の浅間大社につぐ静岡県内3番目の高い格式とされました。
宗良親王は短歌の名家出身の母を持ち歌の道に秀で、比叡山延暦寺の天台座主という最高位にもつかれていました。どちらかと言えば武の道よりも学問に秀でた方だったようです。
しかし時代の流れで南朝方(後醍醐天皇)のために還俗して戦に身を投じます。
●思ひきや 手もふれざりし 梓弓 おきふし我が身 なれん物とは
「今まで手も触れてこなかった弓を、戦のためにそばに置いて寝ることにすっかり慣れてしまったものだ」
戦況は苦しく中部地方を中心に拠点を移しながら戦を続け、時には険しい山々を逃げのびることもあったようです。
敵に狙われながら道中無事で目的地に着くことは大変なことです。
●なげかじな 忍ぶばかりの 思い出は 身の昔にも 有りしものなり
「なげくことはない。耐え忍ぶばかりの思い出は私も昔よくあったものだから」
皇族の身であり普通ならば不自由ない生活を送れる身でありながらも、耐えて耐えて忍んでばかりだったと。幾度となく逆境に立たされても道を切り開き続けてきた経験からの励ましの言葉だったのだと思います。
●君がため 世のため何か をしからん すててかひある 命なりせば
「これからの世の中のためにどうして惜しむことがあろうか。たとえ死んでしまったとしても意味のある命なのだから」
南朝方の千載一遇の好機であった大きな戦の前に詠んだ歌です。結局負けてしまったのですが、この精神は幕末の志士に引き継がれ明治維新の原動力となりました。というのも親王の残した歌集はその精神性から幕末の志士に愛読されていたようです。
明治維新がなければ日本は強国の支配下に置かれていたであろうことを思うと、時代は違えど「国を守る」という願いは後世まで届けられ叶えられました。

新史料館の入り口に御祭神をイメージして描いてくださった大野舞さん(http://denali331.com/)のイラストを展示しています。こちらは令和4年の御鎮座150年の奉祝の意で奉納されたものです。御祭神の絵はあまり残されていないので、こうしたイメージできるものがあるとより親しみがわくことと思います。
この度御祭神の御神徳を仰ぎ、「道開き守護 心願成就守」を新規に奉製し、22日~お出しします。こちらのイラストが使われたものとなります。
また近づきましたらお知らせいたします。